雅子さまが“ホンネ”で語った「理想のワークライフ」 結婚前の貴重なエピソード

文/宮本タケロウ

祝・ご成婚27年

昨日6月9日は天皇皇后両陛下のご成婚27年目の記念すべき日でした。お二人がご結婚したのは、御周知の通り、1993年6月のジューンブライド。

では、お二人がお出会いになったのはというと、なんとそれよりも7年も前に遡る1986年の10月、まだ昭和天皇もご存命時で天皇陛下が「浩宮さま」と呼ばれていた時でした。

お二人が出会ったのは、1986年10月に来日したスペインのエレナ王女のレセプションの時。

元外交官の雅子さまですが、この頃はまだ外交官になっていない、外交官試験に合格して内定をもらった大学生の立場でした。

外交官になっていないのに、どうして雅子さまがレセプションに加わったのか。それは、この頃にお妃選びが水面下で進められていたからでした。小田桐誠『消えたお妃候補たちはいま』(ベスト新書、2019年)にはこう書かれます。

宮内庁の東宮職は近々来日するスぺインのエレナ王女の 歓迎準備に追われていた。(中略)東京・元赤坂の赤坂御用地にある馬場で古式馬術を見てもらうことになったのだが、馬場は広い。エレナ王女を含めて、皇族方だけではせっかくのもてなしも寂しくなってしまう。そこで、王女来日にかかわった外務省と宮内庁の幹部とその家族を呼ぶことになった。(中略)外務省OB、 現役外務官僚、宮内庁幹部と家族の名前がタイプで打たれた招待者名簿に、手書きで追加されている名があった。小和田雅子である。(中略)

小和田雅子を推薦したのは、駐ソ大使や国連大使などを務めた外務省OBの中川融。中川 のもとには前年の暮れ、宮内庁関係者から「お妃さまのことで協力していただきたい」と 推薦依頼がきていた。中川は「私の知っている範囲で、ふさわしい方が見つかればご連絡し ましょう」と答え、外務官僚の子女で誰かふさわしい女性がいないか情報を集め始めた。 (以下略)

小田桐誠『消えたお妃候補たちはいま』2019年、72-73頁

この時には若い独身の王女のためにと同世代の日本女性が数多く招かれており、雅子さま自身はその中の一人であり、父の外務省幹部・小和田恒の令嬢だから招待されたという認識だったそうです。

ですが、天皇陛下は少し違っていたようです。この時の雅子さまの印象を婚約決定の皇室会議後の記者会見で「その際、非常に強いというか、いい印象を受けました。まず非常に 控えめですが、自分の思っていることをはっきりおっしゃって、それでいて非常に聡明で あること。それから、話題にも共通性があって、心が通じ合うような、そういう感じを強く持ちました」と述べました。



「皇族の仕事も、外交官の仕事も同じ」

その後、雅子さまがイギリス留学を終え、外務本省勤務にって帰国した1992年に再会し、「全力で一生お守りします」とプロポーズの言葉で、ご結婚となったことはあまりにも有名です。皇太子妃という重い立場を「畏れ多い」と固辞し、外交官の仕事を続けたいと思います」という雅子さまに、

「外交官としての外交、皇族としての外交、日本を思う気持ちに違いがあるでしょうか。 私はどちらも同じ仕事だと思っています」

と、皇太子時代の天皇陛下は仰ったと伝えられます。

1993年にご成婚となった時は、世の中の特に女性たちは”皇室外交の場で華々しく活躍する皇太子妃の姿”を想像しましたが、日本一の旧家としての格式やしきたり、特にまずお世継ぎを産むことを期待されるという葛藤に苦しみ、適応障害となられ、長期療養を余儀なくされました。

雅子さまは、華々しく、華麗な経歴の元外交官として皇室外交で活躍するはずだったのに…

長期療養は、雅子さまご本人のみならず、国民の多くも非常に心を痛めた出来事であったと思います。



雅子さまの理想の結婚生活とは?

雅子さまは皇室に入り、様々なストレスで、本来思い描いていた生き方とは異なる生き方を強いられたわけですが、そもそも、雅子さまは本来、どのような結婚生活を希望していたのでしょうか。

実は、天皇陛下と雅子さまが出会う前、『フォーカス』という写真週刊誌が雅子さま(当時、小和田雅子さん)を取材した記事があります。記事は「外交官に「清原級』ルーキー」と時代を感じるタイトルで、サブタイトルは「ハーバード出身小和田雅子さんの完全無欠」。ショートヘアで白いブラウスに黒いボーダーパンツというボーイッシュな装いで、ブラウスの襟元をペンダントで留めた雅子さまは昭和後期の男女共同参画時代の幕開けを示すようなコーディネートで、次世代の女性の希望の星のような姿です。

記事は雅子さまの結婚と仕事(ワークライフバランス)のインタビューをこのようにまとめられていました。

「だが女性の外交官はツラい。出世は平等だが、昭和32年入省組以来15人の女性外交官のうち、結婚したのは3人だけ。結婚しても、無職の夫でもない限り、一緒に赴任はほぼ無理。『私はひとりでバリバリやるタイプじゃないし、精神的にも弱いので家庭はほしい』 とその辺は弱気な彼女…」

(『フォーカス』1986年10月17日号)

20代前半の、就職前の雅子さまはワークライフバランスについて、「仕事を頑張るためにも家庭を持ちたい」と述べていたことが分かりますね。



皇太子妃と外交官は両立できない?

それから7年後、雅子さまは皇太子殿下と結婚し、寿退職となるわけですが、ここで、私がふと思ったのは、

雅子さまは皇太子妃になった後も外務省で働くことはできなかったのか?

ということです。

そうすればご病気にもならなかったし、長期療養することもなかったのではないでしょうか。

「そんなことできるわけないじゃないか?!」

と思われるかもしれませんが、少し深く考えますと、戦前の皇族は皆、軍人として実社会で平民と一緒に仕事をするのが普通でした。中には北白川宮のように戦死した皇族もいます。

また、戦後でも三笠宮崇仁親王は東京女子大学の古代オリエント史の講師として働いていたことは有名ですね。

こうしたことを考えると、「女性皇族(妃殿下)が仕事をして家庭を支えて、何が悪いのか?」と言えなくもありませんし、皇太子と結婚したからと言って、仕事を辞めなければいけない道理はないのではないでしょうか。

そもそも、女性の側が仕事を辞めなければいけないのはなぜでしょうか。

夫は皇太子の仕事、妻は外務省職員の仕事で、共働きをしたって良いはずです。

もちろん、宮中祭祀や園遊会等、皇族の身分に付随する”務め”には出なければならないでしょうが、だからといって、自分のそもそもの仕事を辞める必要はないのではないかと私は思います。



徳川将軍家はこうだ

例えば、徳川将軍家の第18代当主徳川恒孝氏は、もはや幕府など存在しないにも関わらず、徳川家の当主という立場に付随する”務め”と自分自身の仕事とのワークライフバランスをうまくやり繰りしているそうです。

徳川宗家の当主として先祖の祭祀に多大な時間を割いている。1月だけでも10日が5代綱吉、24日が2代秀忠、30日が11代家斉の命日にあたるため、墓所である上野寛永寺や芝増上寺に参らなければならない。

家康の命日の4月17日には、静岡市駿河区の久能山東照宮へ束帯に威儀を正して出かけて行く。月遅れの5月17日に、今度は日光の東照宮で同様の祭があり、ここにも束帯で出向く。その他歴代将軍の側室など徳川宗家ゆかりの人々の墓には年末年始や盆にまとめて参る。

会社勤めの傍ら、こうして月平均2-3日を先祖の供養に費やさねばならないため、その都度有給休暇を振り当て、個人的な休みを返上するなどの努力により時間をやりくりしていた。

徳川恒孝(Wikipedia)

徳川家の当主としての”務め”と自分の仕事を両立させている様子が分かりますね。



本当の意味での男女平等

もちろん、営利企業での仕事は、業務の性質上、皇族との両立は難しいかもしれませんが、雅子さまは公務員でしたし、外務省には広報文化など、政治問題にタッチしない職場もたくさんある環境です。

雅子さまは就職前のインタビューで「私はひとりでバリバリやるタイプじゃないし、精神的にも弱いので家庭はほしい」と述べていました。また、天皇陛下からのプロポーズに「外交官の仕事を続けたい」と述べていました。

「皇太子の妻となった後も仕事を続け、皇太子殿下(現・天皇陛下)が良き家庭人として雅子さまを支える」

これからの皇室は、そのようなライフプランも、可能性として検討しても良いのではないでしょうか。

「男女平等!」を根拠に「愛子さまを天皇に!」の声が激しい昨今ですが、上記のライフプランこそ、本当の意味での男女平等の実現であると、私は思います。

両陛下結婚27年目の善き日に、「雅子さまは本当はどのような結婚生活と自己実現を思い描いていたか」に想いを馳せ、このような提案をしてみました。

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5 件のコメント

  • 非常に良い記事でした。

    確かに皇后陛下がご成婚後も外務省でバリバリと働くことは可能だったかもしれません。が、それは今だから言えることです。
    皇后陛下は皇室でも外交できるという当時の皇太子殿下、宮内庁が約束したにも関わらず、皇后陛下はお世継ぎという名目で外に出して貰えなかった。
    流産、敬宮さまご誕生後、国民が望んでいるかのように二人目をということをどなたでしょうか?
    当時の宮内庁長官ですよね?
    それらを考えたら皇后陛下に外務省に残るという選択肢はなかっただろうと思います。

    時代は変わりました。今は令和。
    天皇皇后両陛下らしく令和流築きながら存分に皇室外交して頂きたいです。

    • 令愛様のご意見に同感です。

      今回の記事は皇后様のご性格や『結婚』を振り返る良いご提案でしたが,あの当時の皇后様に提示された条件は,断るか仕事を辞めるか?でした。
      皇后様は後悔していらっしゃらないでしょう。記事中のインタビューを受けられたのは新人の時。
      その後仕事に没頭,邁進しながらも結婚や自分の本心については,友人や同僚の結婚などで考えていらしたと思います。
      そんな時に舞い込んだお妃候補No.1の現実。陛下は国賓のもてなし,ご招待の渡航だけでなくライフワークの『水問題』で世界に発信されています。皇后様の力添えはたいへん大きく,著書にも何回も記されています。つまり陛下と一緒に共働きしていらして,充実してお過ごしなのです。
      それを遮ったのは誰か,今は論じませんが,三つのハラスメントを繰り返して受けた皇后様を守り,皇后様を受け止めた陛下の度量の大きさは素晴らしいと思います。

      結婚は相手次第,お互い次第ですね。

  • 皇太子妃としての務めもやり、外交官としても働き、男子も産め、は辛すぎる。

    雅子様が病んだのは、最後の男子を埋めと言う、今で言うマタハラが理由の一つだったかと思っています。

    また、雅子様が輝ける皇太子妃のご公務も沢山あったかと思いますが、執拗なお世継ぎファーストで思ったように動けなかった、、、

    周りの環境が異常で無ければ、皇太子妃のポジションは雅子様が十分ご活躍出来る最適なワークライフだったと悔やまれる。

  • 雅子さまはお一人でバリバリ働いてご性格もお強そうにお見受けしますがそうではなかったのですね。寧ろ美智子さまの方が外見は儚げそうでもご性格はお強かったという、人は見かけだけではわからないものですね。



  • 大学院で学ぶ など、個人的な趣味やボランティア活動は、皇太子妃にも可能かと思います。しかし、雅子様のような知的レベルが高く、ハーバードや東大やオックスフォード などで学ばれた方には、学んだことを活かす社会的な責務を担われたいと思われたでしょう。お飾りの博士号などもちろん不要。
    外務省職員の激務を知れば、特別な立場で腰掛けのように働く皇族は、考えられないと思います。
    宮本氏は、以前の投稿で、小和田恒氏に何かまたお働きいただいたらどうか とか書かれていました。しかし、もうご高齢なんですよ。
    今回の、外務省職員として働き続けられなかっただろうかとか、ご尊父に再登場していただけたら、とか、聞こえは良いけれどできないことを言われていませんか?
    雅子さまが皇太子妃として輝かなかっただけでなく、死ぬほどの苦しみを得て病になられた本当の原因はなにか、国民の方が勘付いていると思われます。

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