女性天皇は賤しいのか? 明治期「女帝論」から読み解く

文/小内誠一

嚶鳴社討論

紛糾すること間違いなしの皇位継承問題。今回は議論の一助として、1882(明治15)年に行われた女性天皇の是非をめぐる議論、通称「嚶鳴社討論」の一部を書き起こしたい。これは、すでに先に公開した五つの記事に続くものである。

  1. 明治期の「女帝否定論」を紐解く 島田三郎(衆議院議員)の嚶鳴社討論
  2. 明治期の「女帝容認論」を紐解く 肥塚竜と草間時福の嚶鳴社討論
  3. 明治期「女帝否定論」の不思議 「女の幸せは即位ではない」「女に国事は無理」
  4. 明治期「女帝討論」の奇妙 「男尊女卑は伝統」「悪しき慣例は撤廃すべき」
  5. 明治期「女帝論」は現代に通ず 「男尊女卑は国民の脳髄を支配する」「女性天皇は生涯独身!」

第6回となる本記事では、女帝容認論者の波多野伝三郎氏(衆議院議員、1856-1907)と、女帝否定論者の沼間守一(1844-1890)による論説を紹介したい。その要点をまとめると、次のようになる。

  • 波多野伝三郎「女帝否定論者は『女帝を立てることは男尊女卑の日本の習慣に反し、皇位を貶める』と主張するが、かつて日本には女帝が存在したがそのような事態には陥らなかったではないか。女帝は民衆から尊敬されていた」
  • 沼間守一「結婚した女帝はこれまで存在しなかったので『女帝が結婚すれば、女よりも男(婿)のほうが偉く見え、皇位が汚れる』危険性は拭い去れない。まして、妻より夫が尊く、夫に柔順なことが妻の美徳ではないか。女帝が婿に柔順になれば、皇位の尊厳が害される。かといって生涯独身にさせるのは難しい。いわんや「腹は一時の借りもの」だから、女帝を認めると血統に混乱が生じ、皇統の尊厳が害される。こういった危惧は大げさに超えるかもしれんが、国民は無知なので、あらかじめ予防のため女帝を認めないほうがよい」

時代がなせる業とはいえ、沼間の女性蔑視には驚かされる。ここで思い出されるのは、子爵・久世通章の長女・山川三千子さん(1892-1965)の言葉だ。彼女は、1909年より1914年まで明治天皇と昭憲皇太后に仕え、晩年『女官』(実業之日本社)を出版した。その中で、当時の宮中の男尊女卑を振り返り「昔は男系ということのみにとらわれて、腹は借りものなどと、母性をあまりにも軽く見ていた」と述べている。

今後、愛子さま待望論の高まりを受けた皇位継承問題の議論が始まる。皇室の運命が決する日も近い。

喜久子さま「愛子さまの即位は不自然ではありません」“女帝容認”発言を検証する

波多野伝三郎の「女帝容認論」

確かに我が国は男尊女卑の慣習があるが、かつて女帝がいても問題がかったではいか

波多野伝三郎氏曰く、本論者及び賛成論者の言ふ所を聞くに、我邦に於ては男より女を賎しむの慣習あり、此慣習あるに拘はらず、女帝を立つるとせば、為めに帝王の尊厳を失ふの恐れなしとせず。然るを本論に反対して女帝を立つることを主唱するは、啻(ただ)に皇統を重んることを知りて、却て帝家の威厳を損ずるを知らざる者なりと。

如何にも我邦に於ては、女より男を尊ぶの慣習なきに非らざれども、亦皇帝を指して所謂る雲上の人と見倣し、普通一般の人よりは格外に置くの慣習あることは、本論者及び賛成論者と難ども、決して否とは言はざるべし。是故に二千五百有余年問、九五の位を占めさせ給ひたる推古帝以下八代の女帝は、曾て人民の卑みを受けさせられたるの例あるなし。

要するいやしに女子を賎むの慣習は、人民と人民との聞には甚だ盛んなる可けれども、此慣習を施ひて女帝に及ぼす如きは、万之れなきことと信ずるなり。然るに論者は唯民間に於て女子を賎むの慣習あるを知りて、帝位に登らるる御方は、其男女を聞はず、同様に之を尊崇するの慣習あるを知らずして、頻りに女帝を立つべからざることを主唱す。焉(いずくん)ぞ其れ説を為すの粗忽なる茲(ここ)に至るや。

沼間守一の女帝否定論

結婚された女帝がいないので、「女帝が結婚してもその尊厳は害されない」は机上の空論

沼間守一氏曰、反対論者たる波多野君よ、卿が往古より女帝を立つるの慣例あれども、為めに其尊厳を害せしことを聞かずとの説は、実に年代記でも一閲読過し、女帝あるを見て以て其事実を究めず、直ちに此の議論を定めたるものならん。看よ、往古の女帝陛下は皆其配偶なくして独処し給ひしなり。是れ其尊厳に害なき所以ならずや。

妻より夫が尊く、夫に柔順なことが妻の美徳。女帝が婿に柔順になれば、皇位の尊厳が害される。かといって生涯独身にさせるのは難しい。

我日本現今の社会に於ては、夫妻孰れか尊しとす。夫に柔順なるを妻の美徳となすは、何の為めぞや。蓋し夫を第一流とし、妻を第二流に置くが故なり。上下尊卑の別焉(ここ)に存す。人情既に斯くの如し

然るに女帝を立るとせん歟(か)、全国の人皆将さに言はんとす、我陛下は至貴至尊なり、然れども此至貴至尊の御身にして猶皇婿に柔順ならざるべからずと。是れ余輩が其尊厳に害ありとなす所以なり。有しくも陛下にして第二流に在るが如き感情を全国人民に懐かしむるは、実に勿体なき御事と申すべし。去り迚(さりとて)此女帝陛下を終身独処し参らする歟(か)、実に為し難きことなるぺし。

「腹は一時の借りもの」だから、女帝を認めると血統が混じる。

況んや猶一歩を進めて之を論ぜぱ、我国民の多数は子を以て夫妻孰れの血統に属すると認むるや。彼の俚言に、腹は一時の借りものとさゑ言ふにあらずや。

若し然らば人臣にして女帝に配偶し参らせ、皇太子を挙げ給ふ事ありとも、天下の人心は皇統一系、万邦無比の皇太子と見奉るべき歟(か)。余は畏る、人心(*人臣)の血統、皇家に混ずるの疑惑を来たし、為めに其尊厳を害するなきやを。

以上の女帝を容認した際の危惧はおおげさはあるが、無知な国民が多いので、危険は未然に防がなけれならない。

余輩は固(もと)より如此(かくのごとき)の妄念を懐くのものにあらず。去れど滔々たる天下、皆俊秀なりと言ふべからず。否な、政事家たるものは宜く天下の情勢を察せよ。仮令(たと)ひ如何なる邦国と難ども、其多数を占むる者は皆無智無識と言ふを得べきのみ。既に多数は無智無識のものたることを覚らば、此等の徒が有する感情を注視せざるべからず。彼の人ごとに説き、戸ごとに諭す如きの挙は、決して為すを得ぺきの事にあらざるなり。

其れ然り、故に我皇統に毫末の疑心を懐かしむべからず、万世一系の帝統たることを明白ならしむるを勉むべし。去りとて此畏れあるが故に、女帝を立て参らするも、独処し給ふの慣例に従ふと言ん歟(か)、申すも憚り多き事ながら、往昔の歴史に拠れば、臣民の言ふに忍びざる事を生じたるにあらずや。要するに女帝を立るは、其弊害を見るも、其の利益を見ず。反対論者尚ほ前説を維持するや否や。(三月二十六日)

5 件のコメント

  • 沼間守一とかいう輩の言説は大変不快です。

    女帝よりも、女帝の夫の方がエラく、女帝が夫にかしずくのは天皇の尊厳を傷付けるなどと、
    なぜそんな考えになるのか?

    そもそも女帝という権威者に対してなぜ「男(夫)に従順であるべき」という発想になるのか?
    沼間は、女帝を天皇ではなく「ただの女」としか考えていなかったのではないか?
    (こう言う表現はあまりしたくないが…)

    日本で過去に即位していた偉大な女帝も、沼間にとっては「ただの女、男帝へのつなぎ」くらいにしか考えていなかったのだろう。

    おそるべき男尊女卑論者であり、女帝の功績をまったく無視した歴史に無知な性差別主義者である。

    どう考えても、現在の多くの国民に受け入れられるものではない。吐き気がする。

    • 一国民様、おっしゃる通りです。

      男系支持者は「皇位継承は女性差別とは違う」などと言うものもあるが、その根底には紛れもない男尊女卑の思想がある。

      男尊女卑が「人間の真理」として(意識してかしてないのかはわからないが)信じて疑わない、そこが一番の問題であることに本人たちは気づこうとしない。

      また、男系支持派お得意の「王朝が変わる」
      も、
      「女は他家に嫁すものだから実家の家名は継げない」
      という間違った考え方からくるもので
      名字を持たない日本の皇室ではまったくあてはまらないだろう。

      • にゃー様

        明らかに女性差別なのに、「伝統」という言葉を振りかざして「女性蔑視の思想」を隠そうとしてる所が極めて姑息ですよね。
        まぁ全く隠しきれてないですが。

        差別心が根底にあるのだから、良識ある多くの国民が男系男子論者に不快感を感じるのは当然でしょう。

  • 愛子女帝陛下に戦勝国の王族男性を皇婿殿下をお迎えできれば、少なくとも日本皇室は戦勝王朝に変身できる。イギリス、オランダ、ベルギー、デンマーク、ノルウェー、ルクセンブルクの王族。旧ギリシャや旧ユーゴスラビアの王族でも可ですね。

  • 沼間守一は女性蔑視はもとより他者蔑視者だろう。I am OK. You are not OK.の典型。まずは自分は何事もOK。自分は男だから男帝はOK、女帝はNoという具合。

    国民が無知ならば教育すれば宜しい。それを間違わないよう予防線を張るなど噴飯ものだ。教育すれば女帝容認に傾くのは必至ですが。

    それにも増して、1882年の議論と現在の議論がほぼ同じであるのは情けない限りです。

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