天皇の名前「仁」に込められた深い意味 仁徳と徳仁

文/宮本タケロウ

皇族の名前は「仁」が付く

皇族の名前は、サイト読者の皆さまならご存じの通り、男性であれば「仁」が付きます。今上陛下は「徳仁」、秋篠宮さまは「文仁」、上皇陛下は「明仁」、昭和天皇は「裕仁」ですね。

天皇の名前に「仁」が付くのは、当然の事実のように国民に認識されているため、あまり深く考えたことがないかもしれませんが、少し引いて考えてみると不思議です。

そもそも、なぜ、いつから天皇の名前は「仁」が付くのでしょうか

今回は、天皇の”名前”について、お話をしたいと思います。

代々受け継がれる「仁」は皇室の通字

先祖代々で、その家の当主が継承する漢字一文字を一般に「通字(とおりじ)」と言います。徳川家は徳川家康の「家」、織田家は織田信長の「信」、竹田宮家は竹田恒泰、竹田恒和の「恒」が有名ですね。

現在の皇室の通字は、言わずもがな「仁」ですが、皇室はいつから「仁」を通字にしているのでしょうか。

皇室の通字「仁」の歴史は、2600年を誇る皇室の歴史から見ると意外に浅く、平安時代に遡ることが分かりました(それでも今から1000年前ですが)。

記録によれば、9世紀の第56代清和天皇(857-876年)が史上初めて「仁」を名前に付けた天皇であり、清和天皇は名前を「惟仁(これひと)」と言いました。

(清和天皇)

では、清和天皇から天皇が代々「仁」を名乗っているのか…というと、それは違います。清和天皇は子供に「仁」は付けず、皇子を「惟仁」とは似ても似つかない「貞明(さだあきら)」と名付けました。これが第57代陽成天皇になります。

清和天皇は初めて「仁」を付けましたが、それを通字にはしなかったということですね。

いつから「仁」は通字となったのか

では、いつから「仁」の漢字が、通字として代々受け継がれるようになったのか。

それは、清和天皇から200年程後のこと。後三条天皇(1067-1072年)が三人の皇子に自分の名前「尊仁」の「仁」を継承させたのが始まりです。後三条天皇の三兄弟はそれぞれ貞仁(白河天皇)、実仁、輔仁と言いました。

(後三条天皇)

後三条天皇⇒白河天皇に「仁」が受け継がれて、皇室で仁が通字化し、それ以後、現在に至るまで、天皇の名前には「仁」が付くようになりました。

もちろん、後三条天皇以後もこの漢字を用いていない天皇は散見されますが、それは誕生時には即位が予定されていなかった男性皇族が、何らかの事情で天皇になったことが原因です。

以上、皇室における「仁」の文字の歴史を辿って、

  • 「仁」の始まりは清和天皇(857-876年)
  • 「仁」が代々受け継がれるのは後三条天皇(1067-1072年)から

ということが分かりましたが、もう少し、皇族の名前について、議論を深めてみたいと思います。

昭和天皇は「川村親王」?

本サイト読者の方々なら、ご存知だと思いますが、皇室の古代史を見ると、「阿倍」内親王(孝謙天皇)、「氷高」内親王(元正天皇)、「山部」親王(桓武天皇)、「田村」皇子(舒明天皇)…と、”名前らしからぬ名前”が皇族に付けられていますね。

これは、9世紀初頭までの皇子・皇女の命名方法に理由があります。

実は、9世紀初頭まで、皇子や皇女は誕生時に主に乳母の姓を名前として付けられたのです。

つまり、孝謙天皇は阿倍という乳母に育てられたから、阿倍内親王。桓武天皇は山部という乳母に育てられたから山部皇子、ということになります。

例えていうと、昭和天皇は川村 純義海軍大将の家で育てられましたので、裕仁親王ではなく、「川村親王」という名前となりますでしょうか。

そして、皇族が乳母の姓を名乗る慣行が終わるのが、9世紀初頭の第52代嵯峨天皇(809-823年)です。嵯峨天皇は「神野(かみの)」親王、つまり乳母である神野宿禰(かみのすくね)にちなんだ名前が付けられていましたが、自身はこの慣行を辞め、自分の子供を正良と名付けました。

(嵯峨天皇)

この正良親王が後の仁明天皇で、史上初めて”名前らしい名前”を持つ天皇となり、現在の皇室に至ります。

以上、ふだんあまり気にしない天皇・皇族の”名前”ですが、少し調べてみると面白い歴史があるものです。

「仁徳」と「徳仁」

天皇の通字「仁」は仁徳(じんとく)のある君主になるようにという願いが込められた通字だと言われていますが、現在の今上陛下のお名前はというと、なんと「徳仁(なるひと)」

(今上天皇)

順序を変えれば「仁徳」と同じです。

令和も2年になりました。令和の御代がどれほど続くか分かりませんが、日本史上で最も仁徳あふれる世の中となれば素晴らしいですね。

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