明治期の「女帝否定論」を紐解く 島田三郎(衆議院議員)の嚶鳴社討論

文/小内誠一

はじめに

新旧の皇室典範に従えば、皇位継承者は男系の男子のみに限られる。だが日本の歴史を振り返ると、八人十代の女性天皇がいたことは良く知られる。そのため、皇位継承の対象者を広げるべきではないかという議論が、しばしば起こってきた。

この議論が沸き立ったのは、三度あったと考えられる。①明治となり憲法ならびに旧皇室典範が定められた時、②戦後昭和、新憲法と新皇室典範が定められた時、③平成・令和となり男系男子が極端に減ってしまった現代の三度である。

最も深刻なのは今現在の皇位継承問題である。明治・昭和の時は皇統断絶は危機に瀕していなかったが、平成・令和の場合にはこれが危機に瀕している。安倍政権は秋篠宮殿下の“立皇嗣の礼”の後にこの議論を本格化すると予定だ。だが時事通信などの報道によれば、政権を支持する保守派が女性天皇・女系天皇に猛烈に反対していることから、自民党内部では女性宮家の創設することで、この問題の根本解決を先送りする算段であるらしい。

しかし、悠仁さまが結婚できない、あるいは結婚できても男子に恵まれないともなれば、その瞬間に皇統断絶が確定する。また悠仁さまのお子が一人であった場合、次世代の皇室はその方お一人だけという事態に陥る恐れがある。少子高齢化が進む中、これは十分に起こり得る。よって愛子さまに皇位継承権を認めたり、女性宮家として結婚後も皇室に残っていただくなど、現段階で何らかの対策を講じる必要がある。

どのような対策を講じるのか。女性天皇・女系天皇・女性宮家・旧宮家復帰など様々な方途が考えられ、今後、様々な場面を通じ議論されていくだろう。今回はこの議論の手助けとなる資料「嚶鳴社討論」を紹介したい。



嚶鳴社討論と女帝否定論

明治に帝国憲法・皇室典範が定められるにあたり、女性天皇を認めるかどうかが問題となった。この問題については、自由民権結社である嚶鳴社でもとりあげられ、その討論の内容は、1882(明治15)年3月14日から4月4日まで、9回にわたり東京横浜毎日新聞に掲載された。これが「嚶鳴社討論」である。この討論では、島田三郎・益田克徳・沼間盛一らが女帝否認の立場から、肥塚竜・草間時福・丸山名政・青木匡・波多野伝三郎らが女帝容認の立場からそれぞれ自説を展開している。

この「嚶鳴社討論」は、その内容の一部が井上毅の「謹具意見」に引用され、その後の女性天皇制度の採否にも影響を与えた。

このように女性天皇を議論するうえで「嚶鳴社討論」は重要であるが、なにぶん古いものであるため資料へのアクセスが容易ではなく、その全文がネット上で公開されたことはなかった。今回はその不便を解消すべく、「嚶鳴社討論」の第一論者・島田三郎による言説を翻刻したい。

島田三郎(1852-1923)は、『東京横浜毎日新聞』の社長を務めた後に政治家に転向、その後、帝国議会の副議長・議長までつとめた人物である。熱心な女系否定論者で、この「嚶鳴社討論」は帝国憲法・皇室典範における男系論の採用については、島田の意見が採用された可能性が指摘されている(園部逸夫『皇室法概論』326頁、328頁)。

島田三郎の女帝否定論

発議者島田三郎氏曰く、予は本題の可否に就て自説を陳るに先だち、首として題意を定むるを以て必要なりと思考するなり。我国既に国会の開期定まれり。然らば則ち憲法設立の期も亦既に近しと云ふべし。本題は、我国に於て憲法を設立する時は、女帝を立てまひらするの定例を置くべき乎、抑皇位は男統に限りて登らせらるるの国憲となすべき乎の問題に係れり。予は我国の情状に於ては、皇女を帝位に立まひらするの制に与せずして、男統の登極に限ることとせんと冀望するなり。斯く論断せば、此に二条の反対説を出すべしと信ずるを以て、予め其反対説を設け、逐一之を論破し去り、余の主論をして鞏固ならしめんとす。

第一の反対は、我国古来女帝を立るの慣習あり、今に及んで男統に限るとするは是慣習を破壊するなりと。是論者は古来の慣習を尊重するの人にして、国書に通ずる者に多かるべし。

又第二の反対者は将さに言んとす、現時社会の風気大に開け、又昔時唯武是れ尚ぶの気運にあらざるを以て、随て体力に長ぜる男子の専権を悪むの論其勢力を遣くし、男女の権利漸やく将さに平を得んとす。古へ男統に限れるの国と雖も、今は男女同じく皇位を継襲するに至れり。各国の憲法を通観するに、大抵然らざるはなきなり。是れ幽谷を出て喬木に遷れる者と云ふべきのみ。然るに我国独り之に反して憲法上皇女即位の例を立ざらんとするは十九世の気運に反する者なり。況んや古来女帝立位の国風あるに於ておや。今に及で之を断んとするは、之を文明の却歩と云ざる可らずと。是類の論や、必ず洋書を解するの人に多かるべし。



論拠1:これまでの女帝は独身である

予は此二種の論を排撃するに、先づ左の一言を以てせんとす。曰く、女帝を立ざるを以て古来の慣習を破ると云ふの論者は、唯我国女帝即位の例あるを知りて、其情態の甚だ今日に異なることを思はざるの人と云ざる可らず。

請ふ、其実蹟を略述せん。神功后の応神を摂し、飯豊青尊の顕宗即位の前に朝に臨み玉ひしが如きは、史家之を大統の中に列せざるを以て、固より女帝の例に引用すべきにあらず。其二千五百有余年間、皇女にして九五の位を践せられ玉ひしは、推古天皇より後桜町天皇に至る迄実に八世、推古と云ひ、皇極と云ひ、持統と云ひ、元明と云ひ、元正と云ひ、孝謙と云ひ、明正と云ひ、後桜町と云ふ。其皇極の再祚して斉明と称せられ、孝謙の再祚して称徳と仰がれ玉ひしは、固と各々御一人の事なれば、今又別に之を算せざるべし。

抑此八代の女帝にして、始終配偶の君ましまさず、処女の御身を以て大統を継承せられたるは、孝謙以下四帝のみ。其他は皆、一旦皇配あらざるはなきなり。夫れ推古は敏達帝の皇后なり。崇峻暴崩の後に大位に即玉へり。且つ直ちに厩戸皇子を立て、皇太子とせり。是れ時を竢て位を太子に伝ふるの意、其即位の初めに定まるなれば、大位に登り玉ふと云ふと雖も、其実は甚だ摂位に類せり。皇極帝は舒明帝に配して、其崩後に大統を承たり。議者云ふ、是れ其生み玉へる中大兄皇子の年長じ玉ふを竢るなりと。天武帝の後に大統を承られしは、実に其皇后にして持統帝是なり。即ち草壁皇子の長ずるを待つにありしと云ふ。元明帝は初め実に草壁皇子の妃なりき。其立つや、首皇子の長ずるを待つにあり。其嘗て配偶の位置に立ち玉はずして帝位に登られたるは、元正帝より初まる。継で孝謙帝あり。然れども元正の立つや、儲位に首皇子あり。孝謙の立つや、前に皇太子道祖王を置き、後に皇太子大炊王を置けり。其後久きを経て、明正帝の後水尾の遜位を承られたるは、御蔵纔かに七歳にして、又儲嗣の事なし。是れ独り異例なりとす。而して後桜町帝のの立つや、実に英仁親王の長ずるを待つにありしと云ふ。以上挙る所を通観するに、八帝中嘗て配偶の位置に立玉はずして終始独処せられたるは、元正帝以下回帝にして、即位と共に儲君を置れざりしは、独り明正帝一人あるのみ。亦以て古来我国女帝の、外国今日に於て立る所の者と同じからざるを見るべきなり。

九五の位:天子の位。易で九を陽の数とし、五を君位に配するところから(三省堂『大辞林』)。
皇配:天皇の結婚相手。
暴崩:天皇が暗殺されること。
儲位:皇太子と同義。



論拠2:女帝の配偶者に適当な人物がいない。外国の皇族を招くのは論外、女帝に近づく男は信用できない。

且女帝の事に於ては、古来の慣習を引て今日の定例とすべからざる要件あり。何ぞや。女帝の配偶を置くの一事、即ち是なり。夫れ天地ありて人類あり、人類ありて男女あり、男女ありて夫婦あり、夫婦の道は古今上下の別なく、天理の自然にして、人情の至れる者なり。今より以後、憲法に於て女帝を立ることとせんか、其独処し玉ふことは、是れ天理人情の至極せるものにあらず。則ち余が我国女帝の古例は、之を今日の定制とす可らずと云ふ所以なり。然らぱ則ち欧西立君国の制に倣ひ、大婚の礼を行ふて皇婿を立られんか、如何なる人を至尊に配して其位置に適するとせん。

欧西諸国は外国の皇親を奉迎するの例ありて、其便を得ると雄、我国は言語風俗より考ふるも、又上下の人情より考ふるも、欧西の皇族に論なく、支那の皇族と雖、亦我女帝と大婚を相為す可らざるは、吾人の認めて疑はざる所なり。然らば則ち我皇圏内の人に皇婿を求めんか、是も亦甚だ不可なる者あり。夫れ皇帝の大位を尊崇し奉つり、人臣の得て近づく可らざる者とするは、君制国の第一主義なり。天に二日なく、国に二主なきは、是も亦君制国の第一主義なり。放に上御一人を除きでは、日本国人悉く臣民なり。臣民にして至尊に配侍することあらば、其尊厳を損ぜざる無きを得んや。

論拠3:女より男が偉いので、女帝の配偶者は天皇より偉いと思われる危険あり

或は云ん、理に因て推すに、男女固と尊卑の別なし、皇妃は人臣にして至尊に配す、皇婿人臣より出る、固より不可なることなしと。余は此説に同意する能はざるなり。何ぞや、政治は時勢人情を以て之が基本とせざる可らず。我国の現状、男を以て尊しとなし、之を女子の上に位せり。

今皇婿を立て、憲法上女帝を第一尊位に置くも、通国の人情は制度を以て之を一朝に変ずる能はざる者なるが故に、女帝の上に一の尊位を占るの人あるが如き想を為すは、日本国人の得て免るる能はざる所なるべし。豈皇帝の尊厳を損ずることなきを得んや。



論拠4:女帝の婿が政治に干渉する恐れがある

且夫れ皇婿暗々裏に女帝を動かして、間接に政事に干渉するの弊なきを保つこと能はず。若し此あらんか、唯女帝の威徳を損ずるのみならず、併せて国家の福利を破るに至らんとす。古来我国の女帝は登極の後、独処して至尊の位を占め玉ひしが故に、其威徳を損ずることあるなし。然りと雄、是れ道理人情に適する制度にあらずして、之を今日に行ふ可らず。

結論

泰西の諸国は、外国の皇族に結婚するの風習あり、且男女を区別して、尊卑の位置を定むること、我国人の如きにあらず。故に其尊厳に害なし。然りと難も、外国との結婚は我国状の未だ適せざる者あり。是余が我国に於ては、仮令皇親の遠きに取るも、之を男統に限るを可といたずし、徒らに其近きに取りて女帝を立つ可らずと云ふ所以なり。(三月十四日)

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