明治期「女帝否定論」の不思議 「女の幸せは即位ではない」「女に国事は無理」

文/小内誠一

嚶鳴社討論

本記事では、1882(明治15)年に行われた女性天皇の是非をめぐる議論、通称「嚶鳴社討論」の一部を翻刻紹介する。すでに先に公開した二つの記事に続くものである。

  1. 明治期の「女帝否定論」を紐解く 島田三郎(衆議院議員)の嚶鳴社討論
  2. 明治期の「女帝容認論」を紐解く 肥塚竜と草間時福の嚶鳴社討論

第三回となった今回は、第二回で登場した肥塚竜(1948-1920)による女帝容認論に対し、島田三郎(衆議院議員、1852-1923)と丸山名政(衆議院議員、1857-1922)が反論するくだりである。具体的には、次のような流れである。

  • 前回、島田三郎の「女帝の婿が政治干渉する可能性がある」という女帝否定論に対し、肥塚竜が「イギリスのヴィクトリア女王が婿アルベルトの忠告に従い善政を引いた例がある」と反論する。
  • しかし今回、島田三郎は「肥塚の出した例は、まさに婿が女帝に対し政治干渉している証拠ではないか」と反論。さらに「アルベルトのような善良な婿が得られるとは限らない」「外国の王室に倣い、外国から婿を取ったら宗教はどうするのか?」「大国から婿がきたら日本が乗っ取られる」「女帝となって窮屈な結婚を強いることは女の幸せではない」などとさらに反論。
  • さらに丸山名政も女帝否定論を展開し「女性では国事に耐えられない」「立憲君主国の君主は凡庸でいいから男に限るべき」という趣旨を述べる。

ここで不思議なのは島田三郎が、回答しにくい女帝容認論には再反論していない点である。つまり、草間時福「“男が女帝に近づけば尊厳を減じる”と主張するのに、“女が男帝に近づいても尊厳を減じない”とするのは非論理的だ」に再反論していないのである。

また、島田は外国から婿を招く場合の弊害を説いているが、どうして「男帝が外国から嫁を招く場合の弊害」を考究しないのであろうか? また「女帝の婿を近縁者から取る」と断定しているが、遠縁・無縁者から取っても全く問題ないことは言を俟たない。このような不可解さも現代の男系論者に通じるものがあって興味深いと言える。以下に翻刻をあげるが、現代語には訳さず、古い文体をのまま残した。

島田三郎による女系否定論

島田三郎氏曰、肥塚論者が自論を維持せんが為めに引用せるの事実は、却て予の論旨を助くるに足るは奇なりと云ふべし。是れ亦予が説の事理に適せるの一証と云ふ可きなり。

ヴィクトリア女王に皇婿アルベルトが口出ししたのは「政治介入」である。

其事実とは何ぞ。英の女帝ヴヰクトリアが、政党の争論に干渉せんとせしが、皇婿プリンス、アルベルトの力によりて此に出ざりしと云ふこと、即ち是なり。

予は皇婿が暗々裏に女帝を動かして間接に政事に関するを不可なりと云へり。肥塚論者にして此点を駁せんとせば、事実此等の患なしと云ふべきに、却て皇婿が女帝を動かしたるの例を挙るは何ぞや。夫れ皇婿の女帝を動かすを得る、此の如し。然らば則ち女帝を動かして政党の争論に干渉するも亦、為すを得べきの事なりと云はざる可らず。

ヴィクトリア女王の場合は善良な婿だったが、いつもこうとは限らない

女帝ヴヰクトリアの事の如きは、幸に善良なる皇婿を得たるにより、是稀有の傍倖なるのみ。之を以て常事と云ふべきにあらざるなり。又国会あり、憲法あらば此患なしと云ふか、英国々会は其勢力甚だ強大にして、其憲法も大に力あり。然るに十九世紀のヴヰクトリアにして、尚ほ政党の争論に干(あず)からんとせば、与(あずか)るを得たりしの勢を現はしたるにあらずや。

我国の国会未だ聞けず、憲法未だ立たず、今より其勢力如何を予想する能はずと難、初めよりして、英国十九世紀の国憲国会には歩を譲るべしと認定するを当然なりとす。之を思はずして其患なしと云ふは、余りに気楽なる依頼と云ふべきなり。

女帝が外国人と結婚したら宗教はどうするのか? 

予は反駁の言を此に止めて、更に二条の新理由を提出して、益々主論を輩固にせんとす。

欧西の俗、異教の男女婚姻を結ぶときは、其所生の子は何れの宗教を奉ぜしむべき乎と云ふは、大抵其初めに約束すると雄、後来に争論を生じ、夫妻の聞に非時の風波を起して法庁を煩すこと、往々吾人の耳聞する所なり。

私個人にして此事あるは、其災社会に延及せずと雖、九五の大位を践せらるる御身にして、万一此事あらんか、実に由々しき大事と云はざる可らず。是れ容易に外国の皇族と結婚し玉ふ可らざるの第一理なり。

女帝がロシアやイギリスなど大国から婿を得たら、我が国にも影響がある

又現時に至りでは、国帝の結婚によりて両邦を一にすること甚だ少れなりと雄、強大邦国の皇族と結婚せんか、隠然として其勢力を我国に及ぼすことなしと云ふ可らず。

夫れ皇婿の魯・英の園より入来し玉ふことありと仮定せよ。皇婿と共に其邦人の我宮廷に勢力を得ること、万一に之なしとも云ふ可らず。総んや隠然其後ろに勢力を支持する者なきを保つ可らざるに於ておや。是れ外国の皇族と結婚す可らざる所以の第二理由なり。

女帝のために近縁者から相手を見つけ出して結婚させるのは、女帝の幸福にはならない

其他内人に結婚し玉ふことの利害は、発論に略之を尽せりと雄、尚ほ反対論者に一言して、予の説を終んとす。抑(そもそも)婚嫁は血属の遠きに求むべくして、之を近きに求む可らずとの理は、近時生理学の実験に徴して愈々(いよいよ)明かなり。且夫れ婚姻は男女相方意気の投合に成るを以て当然なりとす。

然るに女帝を立るの一事に拘泥して、皇婿を至狭の中より出さしめ、又其同族の皇親に限らんとするは、決して女帝の為めに幸福を図るの至計と云ふ可らず。否、帝室の為めにするの良計と云ふ可らざるなり。是れ余が反対論を以て余が論基を動かすに足らずと思惟する所以なり。(此一項は昨日の本欄内に掲げし草間時福氏の論と誤て前後せしものなれば、此島田氏の論ありて後、草間氏の駁論ありしものと知らるべし。)

丸山名政の女帝否定論

丸山名政氏日く、本論者は男帝を立るを主張して、女帝を立るを不可とするに、女帝の国事に耐へざるを以て、皇婿に左右せらるるを恐るるが如き語気を有せり。余が所見は之に異なり、皇帝陛下なりとて世々聖明の御方斗(ばかり)なりと云ふ可らず、是れ三千年の歴史に就て知るぺきなり。

女性では国事に耐えられない

而して其国家の禍福に関するは、独裁政体に於て免る可らざる所なれば、即位の事に就ては最も慎密を加へざるべからざるは、自然の理なり。此理に因て推すときは、女帝陛下にては国事に耐へさせ玉はざることあるを恐るるも尤なりと雄、今より後、国会起り国憲立つに至ては、唯皇統を保続するの一点を重ぜざる可らざるなり。

立憲君主国では君主は凡庸な男で問題ない

故に女帝を立るも更に気遣ふことなかるべし。余は立憲国の君主は中主を得るも足れりと信ずるを以て、女帝を立てざるの論に同意すること能はず。

中主:平凡な君主。

神社本庁「愛子天皇を阻止する」の男女差別 安倍政権の黒幕

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